私が大切にしている10のこと  2班 龍田

 月刊文春新年号に「私が大切にしている10のこと」という特集が掲載されておりました。

 各自がそれぞれの項目に詳細なコメントを述べておられます。心に残るものが数多くありました。中にはこの年になって無用なものもありましたが、総じて今後、生きてゆく限り実践したいものが見受けられ、大変失礼とは存じますがお目通しいただければと筆を執った次第であります。

 

役所広司(俳優)  「年賀状にそろそろ如何でしょう」と一筆そえる

  挑戦を恐れない②同じような役はやらない③観客に映画の熱を届けたい④映画作りをとことん楽しむ⑤映画の師や仲間への「恩返し」⑥とことん誠実に嘘をつく⑦台本の行間に思いをはせる⑧自分の過去の作品は観ない⑨年賀状に一筆そえる⑩映画オリジナル作品を大切にする

 

平井一夫(ソニーグループシニアアドバイザー)  「休日のメールはチェックするけど出さない」

  「好き」という情熱で生きてきた②誰が何と言おうと曲げない③変わり身の早さ④知ったかぶりをしない⑤部下に「ださい」と思わせない⑥休日はメールをしない⑦家族との時間⑧妻との二人三脚⑨庄ら宇井を担う子供を育てる⑩逆境に燃える心

 

カタリン・カリコ(ノーベル賞受賞者)  「朝起きた時にその日の小さな目標を決める」

  どんなに困難な道であっても、やりたいことを追求する②日々、小さな目標を持つ③自分を信じる④自分が変えられないことは気にしない⑤良いストレスは必要⑥自分がやる事を楽しむ⑦お金儲けのことは考えない⑧人に話しかける⑨配偶者選びはとても大切⑩人を恨まない

 

山極壽一(霊長類学者) 「何が起こってもゴリラのように泰然自若」

  何が起こってもゴリラのように泰然自若②暮らしの底辺から社会を見つめる③常に未踏峰を踏め④冒険せよ、ただし生還せよ⑤味方を作らず、敵を作るな⑥息の合わない人とタッグを組む⑦地酒を酌み交わす⑧議論で勝とうとしない⑨言葉に頼りすぎない⑩孤独はチャンス

 

及川美紀(ポーラ代表取締社長〉 「社長はいつも笑ってなきゃダメ!」

  社長はいつも笑ってなきゃダメ!②「行動先行」の切り替えスイッチ③ご縁は大事に、必ず繋ぐ④現場の一次情報を頭に入れる⑤相手の意思を引き出す問いかけ⑥「ピンチ」体験は自分も他人も幸せにするチャンス⑦「幸せ経営」で成果を出す⑧みんなに頼ってチームを作れ⑨言葉を組織の旗印にする⑩茨木のり子の詩

 

北村 滋 (前国家安全保障局長) 「身体に合ったスーツとセイコーの腕時計」

  朝五時半から海外ニュースを聴きながら運動②朝食のサンドイッチと休日の料理③新聞のスクラップ三〇〇冊④仕事と趣味と兼ねた読書⑤妻と映画鑑賞⑥二、三週に一回は理容室でリラックス⑦身体に合ったスーツとセイコーの腕時計⑧開成学園同級生との付き合い⑨時々、過去を振り返る⑩ようやく手に入れた家族との時間

 

小泉 悠 (東京大学専任講師) 「水タバコ屋で気分を上げる」

  細部にこだわる「オタク」であり続ける②毎週、必ずメルマガを書く③横の文章を縦にするだけの仕事はしない④アウトプットは「大きな話」まで繋げる⑤脇道を行く⑥短期間でいいから現地に行く⑦能力がないことは諦めて人に任せる⑧居場所を二つ以上つくる⑨Twitterの中では「全裸」でいく⑩水タバコで気分を上げる

山根基世 (アナウンサー) 「ナレーションは全身をつかってする」

  朝の黒糖生姜レモン湯と新聞三紙②ナレーションは全身でする③肉、魚、その三倍の野菜④酒を酌み交わす至福の時⑤他人の自尊心を傷つけない⑥体の芯から出てくる声を大切にする⑦台本は五十回、六十回と読み込む⑧自分の言葉を持つ子供を育てる⑨求愛給餌⑩寝る前の「ありがとう」

 

成田祐輔 (経済学者) 「ボーッと火を眺めて頭と心のスイッチを切る」

  あまり仕事をしない②一つの場所に居つづけない③睡眠障害は治さない④若いうちは人目につくな⑤一人ぼっちで過ごす⑥お金から逃げない⑦絶滅寸前の種族としてギリギリ生き残る⑧ボーッと火を眺めて頭と心のスイッチを切る

 

角田光代 (作家)  「執筆は9時~5時、絶対に残業はしない」

  締め切りは必ず守る②執筆は9時~5時、絶対に残業はしない③空腹に耐えられないので食事の時間をきっちり決める④仕事では安易な題材を選ばない⑤仕事をきちんと断る⑥「くよくよしない」と書いて貼っておく⑦なるべく上機嫌に。「ふり」でもいいから⑧夜ご飯の記録をつける⑨目標や向上心を持たずに運動を出来るだけ長く続ける⑩大げさなことは考えずに難民支援や社会貢献をする

 

市川團十郎白猿 (歌舞伎俳優) 「舞台の裏方さんの意見に耳をかたむける」

  梨園の旧弊と戦う②舞台直前にもブログを更新する③酒とたばこは止め、早寝早起き④五軒のジムをハシゴする⑤一日五分でもサウナに入る⑥朝からステーキを食べる⑦「ママのようなパパ」になる⑧麻央さんの言葉を伝えていく⑨演技指導ではなく環境作りを⑩次の世代に「伝統の荷物」を渡す

 

村田沙耶香 (作家) 「人間の自分と小説家の自分は切り離す」

  いつでもメモが書けるようにノート、筆箱を持ち歩いている②外国に行く時は日記を付ける③毎日手帳に仕事を書き出す④仕事をするときは炭酸水を飲んでいい⑤「人間の自分」と「小説家の自分」を切り離す⑥観察しない⑦頭の中の映像を定期的に外に出す友達と定期的に会う⑨朝ご飯を外で食べる⑩一番大事なことはひとには話さない

 

藤田真央 (ピアニスト)  「ピアノは自分をよく見せるために使わない」

  ピアノは自分をよく見せるために使わない②とにかく練習。一日中ピアノに向かうことも③お国柄の違いを理解する④海外公演に必要な三種の神器⑤酒もたばこもやめました⑥とんかつとハンカチでゲン担ぎ⑦各地の書店に立ち寄る楽しみ⑧執筆が一日の密度を濃くする⑨横浜が日本一の年に生まれた⑩家族が支えてくれた

 

石川佳純 (元卓球選手) 「バーンと落ち込んでパッと切り替える」

  夜更かししない②リフレッシュのために運動をする③バーンと落ち込んでパッと切り替える④お米でパワーチャージ⑤どんな時でも音楽を聴く⑥本から「いい言葉」を取り入れる⑦ノートにメモを取る⑧自筆の手紙で気持ちを伝える⑨自分で決める⑩周りの人を大切にする

 

 

須江 航 (仙台育英高校野球部監督) 「監督に何でも話せる」関係性をつらない

  野球部員全員を競争させる②選手のデーターには温かみがあり、可能性が込められている③「旬」を逃さないためのタイプ付けと実戦経験④「監督に何でも話せる」関係性を作らない⑤埋もれがちな選手の声を聴くために「記者会見」を開く⑥マンガや書籍、流行りものには目を通す⑦対戦相手の分析は飽きるまでやる⑧選手には野球日誌ではなくゲームレポートを書かせる⑨敗戦の検証には時間をかける⑩朝六時に息子と一緒に起きて勉強と野球をする

 

和田秀樹 (精神科医) 「どんな時もいちばんラクな方法を探す」

  迷ったときはやる②お金は貯めず、好きなことに使う③ラクできる方法を探す④やりたいことを生活の中心に据える⑤やる前からごちゃごちゃ言わない⑥医者は神様ではない⑦のび太のように考える⑧肩書ではなく自分の名前で仕事をする⑨部下や後輩を大切にする⑩人間は死んでからが勝負

 

道場六三郎 (料理人) 「ちょっとの勇気」で掃除も洗い物も

  料理人は立ち姿で見せる②「ちょっとの勇気」で掃除も洗い物も③大事なことを書き留める④人の倍、働く⑤文明の利器はどんどん活用する⑥仕事はオーナー目線で⑦つらくての、苦しくても嘆かない⑧「前味、中味、後味を楽しんでいただく家族を大切にする⑩一日、一日を喜んで、精一杯、過ごす

 

大栗博司 (物理学者) 「見切り発車でもいいからエイヤッと始める」

  この世界には真実があり、私たちはそれを知ることが出来る②「お客さん」を大切にする③自分で溶ける問題を見つける④粘り強く考える⑤迷ったら楽しい方を選ぶ⑥見切り発車でもいいからエイヤッと始める⑦ハリネズミよりキツネになりたい⑧自信が持てないことは言わない⑨周囲の人をその人自身として大切にする⑩どこへでも歩いてゆく

 

 

編集後記 

 

それぞれの道を究めた達人の生きざまでありますが、八十六年間生きてきて率直な意見は「反省しきり」といった境地であり、赤字にした個所は特に心に突き刺さった文言でありました。

村田沙耶香さんの友達と定期的に会う」はとても大切なことであり、私の信条である「出会いを大切に」と相通じるところがあるような気がします。

 山根基世さんの「酒を酌み交わす至福の時」は、下戸の私には生まれ変わって妻と一献傾けたいとの後悔しきりでありますし、平井一夫さんの「妻との二人三脚」や道場六三郎さんの「家族を大切にする」などの項では今となっては取り返しのつかない・・・「今からでも遅くない」・・・と。

 もっと詳しく知りたい方はお申し出頂ければコピーして差し上げますので、ご希望の箇所をお教えいただければ後日お届けします。

 


18歳と81歳の違い ★ 2班 龍田


老いを楽しむ言葉シリーズ 後段に「心に響く素晴らしい言葉」シリーズ掲載

老いを楽しむ言葉(第9回)

少なくして学べば即ち壮にして為すなり

壮にして学べば 即ち老いて衰えず

老いて学べば 即ち死して朽ちず

佐藤一斎 江戸儒学者

 

還暦が過ぎ 古希も過ぎ 傘寿も過ぎてしまった今日

我 何をなすべきかを 模索するのが 日課であることに気づく

早くに起床して さて 本日何をなすべきやと 日めくりを見る

ああ 今日も日めくりが空 明日も空である

ふと 若き頃 恩師に諭されし佐藤一斎の教えを思い起こす

今 わが身のなすべきこと 誰にぞ 知らしめん

 

「学び続け、きれいに、見事に老いてゆく」とウシオ電機の牛尾治朗氏が・・・すばらしい 先人の言葉である

 

「生涯発達」ともいう 人間の知識は発達し続けるという

「生涯学習」ともいう 学び続けることにより 衰えない

いま 歩みを踏み出そうではないか

   

 中国の古典に「曲礼」という「礼記」の一遍がある。「曲」というのは「くわしい」という意味である。

その「曲礼」の中に「年齢」のことが記されている。

人生生まれて十年を「幼」という…学ぶ  教えを受ける年齢

二十を「弱」という・・・冠す 冠を付ける年齢だということ。 弱冠十言う言葉はここから

三十を「壮」という。    エネルギーが旺盛

四十を「強」という。    それがさらに強くなる

五十を「艾」という。    艾(がい)というのは頭に白いものが混じってくる

六十を「耆」という。    耆(き)旨いという意味。人生の甘いも辛いも熟知している

七十は「老」という。    「老い」ではなく「練れる」「熟す」という意味

八十、九十を「耋」という。 「耋」(てつ)「錬」「熟」が進んでさらに至ると言う意味

このように考えると人間の一生はさらに楽しいものになってくるでしょう。

「曲礼」が教えてくれるように、年を取りたいものですが、時すでに遅し・・・。ではありますが人生百歳時代。

今からでも遅くない。あと何十年かは生きなければならない。それを怠惰に生きるか、それとも目的をもって生きるかはあなた次第であります。

 

皆様に綴ってきた「老いを楽しむ言葉」もついに最終回になりました。世界中の識者の言葉の重みを皆様と考えてまいりましたが、多少でも人生の辿る道の指針になればとの思いで続けてまいりました。最初は「お節介焼き」或いは「粗大ごみ」と思っておりましたが、「楽しみにしているよ」とか「参考になるよ」との声もお聞きしましてここまでまいりました。ご愛読に心からお礼申し上げて筆をおきたいと思います。有難うございました。 文責 二班 瀧田

 


楽しむ言葉(第8回)

どんな運命にも、喜びを見出す自由は残されている  

「優雅な生活が最高の復讐である」               スペインのことわざ

運命というものは、ときには残酷このうえないシナリオを用意していることがある。これはある新聞記者の話である。

彼は結婚以後もずっと共働きを続け、子供を育て、親の面倒も見てきた。この間、多くの負担は妻がになってきた。仕事の関係上、家庭孝行など一度もできなかった。子供が独立し、親も見送った。夫の定年もマ間近となり、これから夫婦で一緒に旅をするなど明るい計画の楽しみで一杯であった。そんなおり、夫の体調に急変が。それはパーキンソン病という難病の診断であった。楽しみにしていた夫の定年を目前にして、夫婦は闘病生活に入らなければならなくなった、このとき、二人が支えにしたのが「優雅な生活が最高の復讐である」という言葉だったという。

過酷な運命にさらされたとしても、それを淡々と受け入れ、さらにその運命の中で、優雅に楽しく生きてゆく。それが運命に対する最高の復讐と言う事である。

我々凡人にはなかなか理解できないことであるし、受け入れがたい現実ではあるが、私も幾度となくこの話を読み返してみて、少しは判るような気もする。自暴自棄になるのか簡単である。それよりもありのままを受け入れ、「復讐」という考えに到達したひとに称賛を送りたい。

 

※「病気が恵になることもある」

 「良書を初めて読むときには、新しい友を得たようである。ゴールドスミス(イギリスの詩人

前にも読書した書物を読みなおすときは、旧友に会うのに似ている」

  面白い話がある。「友人に無類の読書好きの先輩がいる。かれは仕事に明け暮れ、読書などする暇がなかったが、時間があると神田の本屋街に行き好きな本を読みもしないのにせっせと買っていた。ついに家の中が書物だらけで床が抜けそうになったそうだ。そして、念願通り、現在は有り余る時間を費やして、これまで買い集めてきた本を片っ端から開き、読みふける毎日を送っている。」実は、彼は先年、脳梗塞の発作に襲われ、幸い命に別条はなかったが、手足にマヒが残った。リハビリの成果で何とか回復して、タイトルである新しい友と旧友に出会える毎日を送っているらしい。

 

人間には様々な考え、行動、思想の持ち主がいる。例えば無類の読書好きがいれば、」本など学生時代で十分だ」という人もいる。私ごとであるが、私の場合、書物はある種の睡眠薬である。ベッドサイドは沢山の書物があり、幾度となく読み返している。ここ数年、新書は一切買はない。理由はこれ以上書物が増えると処理するのがたいへんだからである。粗大ごみの処理に協力頂ければ幸いである。池波正太郎などいかがですか。

 

「悟りという事は如何なる場合にも平気で生きていることであった」      正岡子規 俳人

若くして結核に倒れた正岡子規は、少し体調が回復すると俳句雑誌の編集会議や句会を開いて、明治期の俳句の世界に大きく貢献した。後年、脊椎カリエスのためにほとんど寝たきりの生活を強いられるようになってからも、死に臨んだ自分自身を直視した「病状六尺」という、優れた人生の記録を残している。どのような事態になっても自分の人生の一部なのだ。出来ることを最大限に生かして、それなりに日々を充実させていくというひとつの手本ではないだろうか。 文責 二班 瀧田


老いを楽しむ言葉(第7回)

※笑うことは最高の健康法だ 

「薬を一○錠飲むよりも、心から笑ったほうがずっと効果がある」      アンネ・フランク

この本の著者は医者であるが、患者を診察する時に、其の患者が良く笑う患者であったら、きっと治りが早い。笑いは免疫力を高め、病状を改善に向かわせる力を持っていると言っている。アンネがナチスの迫害の中、物音ひとつ立てられない環境で、わずか十五歳の少女が笑いの効用を書いていることには驚かされる。

 子供が家を離れ、夫婦だけの暮らしになると、家の中から笑いがどこかへ飛んで行ってしまう。増して一人暮らしともなるとなかなか笑う機会もなくなってしまう。馬鹿みたいに思われるかもしれないが、鏡の前で思いっきり笑ってみてはいかがかな。最初は作り笑いでも段々楽しい気分になって来る。それが健康には最高の効果があるそうだ。九期の全体集会に出席して皆で笑おうではないか。

 

※年齢相応の美しさが本当の美しさ

「思想は本屋にいけば即座に手に入るが、皺を手に入れるのは辛い時間がかかるものだよ」

                                    開高 健 小説家

 

みなさん、お肌のお手入れは十分ですか?コラーゲンは?グルコサミンは?セサミンは?エステに通い、高級化粧品を取り寄せ、鏡に向かって一生懸命若返りと格闘してませんか?(アンチェイジングをしたくって)

 若い時には若いなりの、年をとってからはそれなりの、それぞれの年代の美しさがあることを御存じですか?

「しわは人生の勲章だ」とまでは言わないが、しわも現在の自分の一部にほかならない。フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブが来日したとき、こう言っていた。「私のしわをリフトアップで取り除いたり、コラーゲンを注入でカバーして見せるような姑息な手段はとらない」と。

「どんな高い乳液をつけたって、心にこだわりがあったらだめで、心が潤っていたら何も塗らなくたってもべっぴんになるんだな」と前回に出ていた比叡山の「千日回峰行」を二度も成し遂げた酒井雄哉師の言葉である。

本当なアンチェイジングとはなんであろう。見た目にこだわることではなく、老いに屈してしまわない柔軟な心を保つことだろう。

 老いにまかせればいいといっているわけではないので誤解のないようにしたい。心身と共に健康である人は、肌や体つきも若ければ心も若い。必然的に若く見えることになる。健康こそアンチェイジングになるということなのだ。

※ときには羽目をはずして飲みすぎてもいい

「身体に悪いことを人生から差し引くより、体にいいことを人生にプラスしよう」

                              齊藤 茂太 精神科医 随筆家

 

人それぞれだが、健康管理のため自分をがんじがらめに規制している人がいる。たとえば晩酌は缶ビール一つとか油ものは食べないとか。そんなガチがちな生活ばかりしていると、精神的にマイナスになりがちである。ときには羽目をはずして大いに飲んだり食べたりした方が精神的な健康を保てるようだ。精神的に健康な人は、気持ちに適度な柔軟性を持っているから、レールを外しても復元能力が備わっている。私の周りの友人たちも可なりこうした羽目を外してばかりいる人が多いが、全く心配していない。ちゃんと復元力を持っている人たちばかりである。それよりもこうしたお酒の機会を羨望の眼で眺めている自分がみじめに感じてしまう。折角お酒という素晴らしい(?)ものに馴染めないで人生を終えようとしている自分が情けない。今回の第七回の終りにグチがでてしまい申し訳ない思いで筆をおきたい。 文責 二班 瀧田

 

老いを楽しむ言葉(第6回)

だれかのために貢献している、という喜び

「他人に喜びを運ぶ人は、それによって、自分自身の喜びと満足を得る」

ウォルト・ディズニー ウォルト・ディズニー創業者

ユニセフという世界的な支援団体があることはご存じとは思うが、郵便受けにポトンと落ちた国際郵便。その郵便物が届くことが大きな喜びになっていると笑顔を見せるのがAさんである。郵便物は、Aさんが毎月三千円をユニセフに寄付。そこから発展途上国の子供の支援教育に送られる。その支援を受けている子供からの便りである。私が以前所属していた団体では、ネパールの貧しい子供が小学校に通うのに年間七千円を支援した事がある。その子供からサンクスレターが毎年届いていた。「我々年金生活者には余裕なんかない。」というひともいるであろうが、毎日百円位は何とかなるのではないか。子供達の喜びあふれる顔を見るのも楽しみである。

 

「この世の最も純粋な喜びは、他人の喜びを見ることだ」

三島由紀夫(作家。1925~1970)の「癲王のテラス」にある言葉だ。こうして穏やかに、まずまずの暮らしを続けていられる幸福に感謝して、その一部を他社の喜びに振り分けると、其の喜びは二倍、三倍にもなって自分に返ってくるのだと思う。

 富を自分一人のものと考えるのではなく、応分に世の中に還元す湯と言う思想は、欧米ではメセナと言う考えが当然と言われているが、日本にはなかなか浸透しない。ニューヨークにあるカーネギーホールは鉄鋼王カーネギーが、メトロポリタン・ミュージアムもしかり。国民が少しでもこう言った考え方に気持ちを向ければ世の中は変わってくるかもしれない。

 

一病息災、そしてとにかく歩く

「健康は第一の富である」         エマーソン アメリカの詩人・思想家

ある研究家の本に、「老いは忍者のようにしのびよってくる」とあった。なるほど、これ以上見事な表現は無い!と同感した。まだまだ若いと思っているうちに、はっと気がつくと、老いに両肩を掴まれてしまっている。これが老いの実情ではないであろうか。

日本では現在、高血圧及びその予備軍は約三九○○万人。糖尿病予備軍を含めると約一六○○万人。日本人の二人に一人が生活習慣病。

「老いの日の幸福は、一にも二にも、健康であること」 「一病息災はラッキー」もし、検診でどこか異常が見つかったら、「ラッキーだ!」と思う事が大切である。

「健康な人は自分の健康に気がつかない。病人だけが健康のありがたさを知っている」

トーマス・カーライル イギリスの歴史家・思想家

 普段から健康に気をつけたライフスタイルを守って、尚健康診断を受けること。この二つをしっかりと守って、幸福な日々を出来るだけ長く続けたいものだ。

「腹七分に、あとはとにかく歩くこと」

 健康の極意は、あっけないほど簡単なところにある。食べすぎないこと。もう一つは身体をよく動かすこと。運動不足がもっとも悪い。少なくとも、一日一時間くらい、八千歩から一万歩を目安に!

 

比叡山の「千日回峰行」を二度も成し遂げた酒井雄哉師も「歩くこと、動くことは、すべて人間の中心だと思う」といっておられる。御参考になればと思うが、我が身に振り返ると恥ずかしい。

                                    文責 二班 瀧田


老いを楽しむ言葉(第5回)

感動は心の若さの源泉

「一日十〇回、感動する。」

加藤シズエ 元国会議員

 加藤シズエさんは明治三〇年生まれ。男爵夫人となり、二児をもうけるが、労働運動家・加藤勘十郎氏と出会い、離婚。加藤氏と再婚。四十八歳でタキさんを出産。戦後、女性国会議員第一号の一人となる。彼女は一〇〇歳を超えても脳細胞が減らないようにと、毎日脳に刺激を与えることに励んでいたそうだ。そのひとつが一日に十回感動することだったという。このヒントは、ラジオ放送から得たそうだ。ある日、加藤さんが自宅でラジオを聞いていると、こんな投稿が読み上げられたという。―――小学生の孫が「ただいま~」と元気に学校から帰ってきた。その弾むような声を聞いて思わず感動が込み上げてきた。そして、其の感動に自分自身が驚いたと言うのだ。「年をとるというのは本当にいいこと。こんな何気ないことにも感動できるのだから」―――

一〇〇歳のときに書いたエッセイ「生きている限り、学び続ける幸せ」に次のように綴られている。「・・・私の健康のもとは、感動することである。見過ごしてしまうような何事でもないことに感動し、その感動を記憶の深いところに残す。野の花を見ても自然の力に感動し、心が明るくなる。その記憶は脳細胞のひだのどこかに入っていき、心の引き出しにしまわれ、必要な特に出てくる。・・・」

昨日まで、つぼみだった庭木の花が一輪咲いた。これで一回感動。ほほをなでる風が清々しく、気持ちよかった。朝食のトーストの焼き加減が最高だった。これで三回・・・。皆様も今日から如何ですか。

 

「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする」           詩人  萩原朔太郎

 

必要となれば、たいていのことはだれでもできる

「為さざるなり。能わざるに非ざるなり。」

孟子 中国・戦国時代の思想家

孟子は、斉の宣王から、「どのような徳があれば、立派な王になれるか」と問われ、「民を保んずることができれば、ただちに立派な王になれます」と答えた。さらに王が「自分にも、民を保んずることができようか」と尋ねると、「為さざるなり。能わざるに非ざるなり。」(できないのではなく、しないからです)と答えた。逆に言えば、やるきになれば、たいていのことはできる、と答えたわけである。

 

男性諸君。定年退職して家の中で粗大ごみとして扱われて・・・。必要に迫られてか、それとも自ら一大決心して台所に立つ人もいるだろう。奥さんが病気になったとか、どこかの広告で料理学校に通い出すとか、理由は様々だろう。。レシピを片手に・・・それなりに出来るものだ。やるからには義務でするのではなく、楽しんでやることだ。そして、最初から最後まで責任を持ってやることだ。買い物から後片付けまで・・・そうすれば粗大ゴミからの脱却も出来ることだろう。

 

私ごとであるが、十数年前から独学で蕎麦打ちを始めた。誰からも教わることなく、本を片手に努力を重ね、毎年暮れの三十日には数時間蕎麦粉と格闘している。それなりに待っててくれる人がいるので、止めることが出来ないのが頭痛の種である。大晦日には三家族が終結して蕎麦を食すのが我が家の年中行事である。 

今回の第五回は文章が長すぎて申し訳ありません。次回は元にもどします。 文責 二班 瀧田

 


老いを楽しむ言葉(第4回)

※第二の仕事はもっと自由にイメージして探す

「世の中でいちばん寂しいことは、する仕事のないことです。」

福沢 諭吉 慶応義塾大学創立者

仕事はなんおためにするのだろう。仕事=生活? では、一生、働かなくても困らないだけの資産があったら

仕事なんかしないで、来る日も来る日も遊んで過ごすのだろうか。イギリスに「ノブレス・オブリージュ」という言葉があり、恵まれた階級に生まれた者は、人のためになる仕事をする義務、社会につくす義務があると言う考え方があるそうな。「毎日が日曜日」という城山三郎の小説がある。我々にはシニア大学というものがある。

 

※一日一日を無駄に過ごさない

「いいえ昨日はありません。今日を打つのは今日の時計」

三好 達治 詩人

定年退職とともに、多くの人が手放してしまうのが名刺(アイデンティティー)と手帳(予定表)である。手帳は今日、スマホがその代用をしているが・・・。精神科医の齊藤茂太さんは毎日、ベットに入る前に手帳を開き、其の日の予定でし残した事が無いかどうかをチェックすると「よい一日であった」と書いていたそうである。

 

※まず、始めてみる。それがいきがいの出発点になる

「興味があるからやるというよりは、やるから興味ができる場合がどうも多いようである。」

寺田寅彦 物理学者・随筆家

「三日坊主」という言葉がある。この言葉は老後にもちゃんと生きている。ヒマにあかせてあれこれ手を出しては長続きせず、結局、何一つモノにならない。時間ばかり過ぎてしまうのはもったいないし、情けない。具体的な目標は、三日坊主を防ぐ有効な対策である。例えば、「日本百名山」を登るのではなく、自分の目で見て写真に残すことは我々にだってできる。

※いくつからでも学ぶことはできる

「毎日、ゼロからスタートして、どれほど達成できたかを振り返る。このチャレンジに私は夢中だ。」

マーサ・スチュアート アメリカのライフ・コーディネーター

ある程度の年齢になってからも、学ぶことから得る喜びは大きいものがあるということだ。

「博士の愛した数式」という小説をお読みになられたか、映画をご覧になられた方も多いと思うが、ここにこのテーマの問題提起があると思う。脳を損傷した数学者と息子との心のふれあいの物語である。

前回、リカレント教育について書きましたが、最近は多くの大学が中高年者に門を開いている。一般学生と同じシステムで学ぶとなるとそれ相応の学費が必要になるが、ご存じの放送大学や通信教育で学位を執る方法がある。放送大学には300科目という膨大な科目があり、ラジオ・テレビ・インターネットでも受講できる。一単位5500円。124単位を得るのに七十万ほどで学位が取れる。皆様もチャレンジしてみてはいかがですか。 文責 二班 瀧田

 


老いを楽しむ言葉(第3回)

※老いの陽差しの下、異性とのつき合いもおおらかに

「世界中の女をみんな集めたって、いい仲間の一人にはかなわない」

ジャン・ギャバン フランスの俳優

 「渡辺淳一さんの「エ・アロール」という小説をお読みになられた方も多いのではないか。フランス語で「それがどうしたの?」という意味の言葉だそうである。男女間に友情が成立するだろうか。最近の草食系の男性ならばともかく、我々の世代では、異性間の付き合いは一種の危うさがあっても不思議ではない。人生八十年までに延びたこの時代、老後に出会った異性と恋するケースがあってもいい」と作者は言っている。

 

「結婚生活を末永く導いてゆくものは、普通の意味での恋愛でもなく、また情痴の世界でもなく、それらを経た後に来る慈愛――人間のあるがままの姿への愛情であろう」

亀井勝一郎 文芸評論家

「老いの陽差しの下で出会う愛情は、友情であれ、恋情であれ、二人の好きなようにすればいいと思う。ここから新たな家族を増やしていくという可能性は乏しいわけだから、よくも悪くも二人で完結すればいいのだ」

「最後の一瞬まで自分自身の人生なのだ。自分が納得がいくように、好きに生きればいいと思う。」

 

※時間はもっとも使い道の大きな資産である

「時間をつぶすと言っている間に、ひっそりと時間につぶされてしまう。」

ディオン・ブウシコー アイルランドの劇作家

「時間をつぶすことを英語ではkill timeという。時間をつぶしているつもりが、気がついたら、killしていたのは自分自身。自分でじぶんをダメにしてしまう。

 

「時間はあなたの人生の貨幣である。あなたが所有する唯一の貨幣であり、それをどう使うかを決められるのは、あなただけだ」

カール・サンドバーグ  アメリカの作家

「老後にたっぷり残された時間という貨幣。その生かし方しだいで、第二の人生の豊かさは大きく違ってくるだろう。」

 

※リカレント教育という制度を御存知だろうか。OECDが推奨している生涯教育制度のことである。大半の大学で比較的廉価な費用で講座を受講でき、資格は問われない。例えば聖学院大で小池茂子教授の「老年学」という講座があるが、この学問は、人間は青年期で知能の伸びは止まるが、学び続けることにより生涯発達してゆくという学問である。

 

私事であるが、この講座を受講した経験から、全ての能力が低下の一途をたどりつつある今日、いつまで現状を維持し続けることができるかという恐怖から逃れたい一心で、今年度も聖学院大で「日本の思想」(仏教)という講座と、独協大で「古代オリエント史」という講座を受講している。その最大の理由は家内と睨めっこしているよりも、できるだけ顔を合わさないようにしているほうが、幸せと思うからに他ならない。文責 二班 瀧田

 


老いを楽しむ言葉(第2回)

※挨拶は人間関係の玄関口

 「今日はという挨拶やお天気の話などは、挨拶の中で一番重要な深い意味を持っている」

椎名 麟三

「おはようございます」「こんにちは」「いいお天気になりましたね」「向こう三軒両隣」「遠い親戚」

※大事にしたい友だちほど、適当な距離を保つ

 「心の底を傾けた深い交わりは禁物です。愛情のひもは溶けやすくして置いて、あうも別れるのも自由なのが良いのです。」

エウリピデス 古代ギリシャの悲劇詩人

「相手が自分から話すことだけを聞き、口にしないことはあえて尋ねないと決めてしまった方が良い」

 

「君子の交わりは淡きこと、水の如し。小人の交わりは甘きことの如し」

荘子 中国戦国時代の思想家

「よく出来た人の人間関係は、他人の事情に深入りしない。一方、ものごとをわきまえない人間のつき合いは、まるで甘酒の用ようにベタベタとして、一時的には濃密に見えても、けっして長続きはしない」

 

「一方からあまり大きな重みをかけると、友情は破壊される」

クニッゲ男爵 十八世紀ドイツの作家

「たとえ厚意だとしても、一方的に、しかも過剰に示されることは、けっしてよい結果にはつながらない」

 

※貪欲・怒り・グチを追放する

 「僕はよく人にも、グチをこぼすな、くよくよ後悔するなと言っている。第一に時間の無駄だし、からだも弱る。それに周囲を暗くするから、これほどバカなことはないと思っている」

正力松太郎 元読売新聞社社主

「グチも後悔も、なんの前向きの効果ももたらさない。時間の空費ばかりか、まわりの人まで暗い気分にしてしまい、はた迷惑もいいところ。ある年齢になったら、最低限度、周囲の迷惑にならない存在であるように、自分を律していよう。」

「後悔やグチだけではない。仏教では、(とん)(じん)()という三毒を戒めている。貧は必要以上にむさぼり求めること。瞋は怒りや憎しみを持つこと。癡は愚かさのこととされる。どれも人間が抱きやすい煩悩である。グチは怒りの一種と言えるが、いつまでも貪欲な思いに囚われていたり、そうした囚われに気づかない愚かな状態にあることも、できるだけ意識して避けたいものである。」

 

「許すのはよいことだ。忘れることはもっとよいことだ」

ロバート・ブラウニング イギリスの詩人

「正しいグチの受け止め方は、グチを聞いた後はおたがいに後に持ち越さないことがいちばんだ。できるだけその場で忘れてしまうことが大切である」 文責 二班 瀧田

              


老いを楽しむ言葉(第1回)

保坂 隆著 朝日新聞出版 

 先日、総会の折に「神は一人で十分だが、友は一人では少なすぎる」というチェコのことわざをお伝えさせていただきました。このことわざは表題の保坂先生の「老いを楽しむ言葉」という著書に中から引用させていただきました。先生は「誰にも訪れる老い。できることなら、不安にとらわれず、前向きに愉しく生きていきたい」と語っておられます。

 

 著書は六つの章からなり、「友達づきあい」「生きがい」「健やかさ」「悲しみ」「気配りと学び」「老いと死」について著名人の言葉を引用して解説されておられます。

 

 私事ではありますが、様々な面で「生き方、考え方、行動規範」など人生の指針として参考にさせていただいております。誠に先輩諸氏には大変僭越ではありますが共に学んで行けたらと思う次第であります。どうか失礼な行為をお許し頂ければ幸甚に存じます。

 

※「時間とともに深まりゆく友情」

  「友人とは、一緒にいて、私をあるがままに受け入れてくれる人である」

    ソロー アメリカの詩人・思想家

 

「よき友、三つあり。一つは、物くるる友。二つには、医師。三つには、知恵ある人」

                                        兼好法師

 

「友とするに悪き者、七つあり。一つは、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言とする人。七つには、欲深き人。」                              兼好法師

 

※「親切のつもりなのにかえって疎んじられる」

   「忠告はめったに歓迎されない」       チェスターフィールド イギリスの政治家

 

※「真実味が無い言葉なら、口にしない方がまし」

   「巧言令色、鮮なし仁」                     孔子 中国の思想家

 

※「老後の友は、いくらあっても多すぎることはない」

   「老後の友達を三、四人つくって置きたい」                島崎 藤村

「神は一人で十分だが、友は一人では少なすぎる」         チェコの古いことわざ

 

※「いくつになっても友はできる」

   「年をとるとともに新しい友人を作らなければ、たちまち孤独になってしまう」

                 サミュエル・ジョンソン イギリスの批評家

                             文責 二班 瀧田 

 


心に響く素晴らしい言葉シリーズ

心に響く素晴らしい言葉(第9回)中国編(お酒の詩) 

古今東西、酒にまつわる話は数限りなくありますが、中国の詩にはそれこそ選びきれないほど詠まれておりますので、本文だけ掲載させていただきましょう。解説はご自分でお願いします。

 

「飲んでも飲んでも、心が晴れるわけじゃない。」

百年三万六千日  百年 三万六千日

一日須傾三百杯  一日須らく傾くべし 三百杯  李白 「襄陽の歌」詩より

 

「一人で飲むのも、またいいさ。」

欲言無予和    言わんと欲して予に和する無く

揮杯勧孤影    杯を揚げて孤影に勧む     陶然 「雑詩十二首」詩 その二より

 

「月と僕と僕の影。静かな酒もまた楽し。」

花間一壺酒    花間 一壺の酒

独酌無想親    独酌 相親しむ無し

挙杯邀明月    杯を挙げて名月を邀え

対影成三人    影に対して三人を成す     李白 「月下独酌」詩、その一より

 

「うまい酒はここにある。」

清明時節雨紛粉  清明の時節 雨紛粉 

路上行仁浴暖魂  路上の行人 魂を断たんと欲す

借間酒家何処有  借間す 酒家何れの処にか有ると

牧童遥指杏花村  牧童 遥かに指さす 杏花村  杜牧 「清明」詩

 

「一杯一杯、また一杯。」

両人対酌山花開  両人 対酌して山花開く

一杯一杯複一杯  一杯一杯 複た一杯

我酔欲眠卿且去  我酔うて眠らんと欲す 卿且らく去れ

明朝有意抱琴来  明朝 意有らば 琴を抱いて来たれ  李白「山中にて幽人と対酌す」詩

 

「飲んでばかりで、ごめん。」

三百六十日    三百六十日

日日酔如泥    日日 酔いて泥の如し

雖為李白婦    李白の婦為と雖も

何異太常妻    何ぞ太常の妻に異ならん       李白 「内に贈る」詩

 

「飲兵衛のオレは、一年、三百六十五日、泥のように酔いつぶれては、君を嘆かせている。これでは、日々、精進潔斎して女色を避けている太常の妻と何も変わらないね。本当にごめん」

 

 

最後の李白の詩に、心痛む先人が多くおられるのでは・・・?我が仲間は楽しい、良い酒のみでおられることを切に祈ります。・・・私も酒を嗜みたい願望はないわけではありません。

 


心に響く素晴らしい言葉(第8回)中国編(2) 

あまり固い話ばかりでは楽しくありませんので、今回は今さら無駄とは思いますが、「恋」についての格言でも楽しもうではありませんか。さて、皆さんはいかがでしょうか。

 

春心莫共花争発   春心 花と共に発を争うこと莫かれ

一寸相思一寸灰   一寸の相思 一寸の灰 

「胸の内に秘めた恋心の蕾を、春の花々と競うように咲かせてはいけない。燃える思いは、次の瞬間、灰となって消えてしまうから。」       李 商隠 「無題」詩より

 

人非木石皆有情  人は木石に非ず 皆情あり  

不如不遇傾城色  如かず 傾城の色に遇わざらんには

「人間には、木や石と違って感情というものがあるから、心を惑わす美女などに出会わないほうが幸せだ。」                   白居易 「李夫人」詩より

 

在天願作比翼鳥  天に在りては 願わくは比翼の鳥と作り

在地願為連理枝  地に在りては 願わくは連理の枝と為らん

「天に生まれたなら比翼の鳥、地上に生まれたなら連理の枝となって、未来永劫、添い遂げよう」

白居易「長恨歌」詩より

 

天長地久有時尽  天長地久 時有りて尽くるも

批恨綿綿無尽期  此の恨みは綿々として尽くる期無し

「天地は永遠の存在に見えるが、それでもいつかは崩壊するときがくる。けれども、引き裂かれた二人の恋の恨みは、未来永劫、消えることはない。」

白居易「長恨歌」詩より

十年一覚揚州夢  十年 一たび覚む 揚州の夢

贏徳青楼薄倖名  贏ち得たり 青楼薄倖の名

「揚州で遊び暮らした十年の夢から覚めてみれば、私に残ったのは、色町の浮気者という評判だけだった。」         

杜牧 「懐いを遣る」詩より

 

多情却似総無常   多情は却って似たり 総て無情なるに

惟覚鱒前笑不成   惟だ覚ゆ 鱒前 笑いの成さざるを

蝋燭有心還惜別   蝋燭 心有りて還た別れを惜しみ

替人垂涙到天明   人に替わりて涙を垂れて天明に到る

「あなたへの愛情をどう表現してよいかわからず、かえって冷たい態度をとってしまう。別れの酒樽を前にして顔がこわばり、笑顔が作れない自分が情けない。そんな不器用な私の代わりに、ロウソクが明け方まで涙を流し続けてくれた。」

杜牧 「別れに贈る」詩その二

 

「恋心」がお判りでしたか。若き青春時代を今一度顧みられてはいかがでしょうか。

                                     文責 2班瀧田 

 


心に響く素晴らしい言葉(第7回)中国編(1) 

これまで四回にわたり、日本人の教育者などの名言をお伝えしてきましたが、ご存知中国には偉大な詩人や文人が多く存在しておりました。李白、杜甫、白居易、孟浩然などに加え、論語の中には皆様がこれまで度々接してこられた名言があります。さて、どんな名言に出会えるでしょうか。

 

人生感意気。  人生 意気に感ず

功名誰復論。  功名 誰か複(ま)た論ぜん

「人生の醍醐味は、自分を男と見込んでくれた相手のために、粉骨砕身働くことにある。利益や名誉のために計算ずくで働くなど愚の骨頂だ。」         魏徴 「述懐」詩より

 

中人以上、可以語上也。   中人以上は、以て上を()(つ)ぐ可し。

中人以下、不可以語上也。  中人以下は、以て上を語ぐ可からざるなり。

「人間としてのレベルが中以上の人には、高度な話をしてもよいが、レベルが中以下の人には、高度な話をしてもどうせ理解されないから、話すべきではない。」 論語 孔子の言葉より

 

老当然壮。    老いては当に益壮んなるべし。

寧知白首之心。  寧ぞ白首の心を知らん。

「男子たるもの、年老いても志を高くもち続け、若い頃以上に意気盛んでなければならない。世間の人々には、こんな白髪頭の老人の心の内などわからないだろうけれど。」王勃 謄王閣の序より

 

徳不弧、  徳は弧ならず、

必有隣。  必ず隣有り。

「知性と品性を兼ね備えた人格者には、必ず良い理解者が現れるから、孤立することはない。」

                             「論語」孔子の言葉より

 

君子和而不同。 君子は和して同ぜず。

小人同而不和。 小人は同じて和せず。

「君子は、嘘偽りのない真の友情を結ぶが、友情を保つために相手に迎合することはない。小人は相手に迎合したり、付和雷同することによって友情を保とうとするため、真の友情を結ぶことができない。」                        「論語」孔子の言葉より

 

酒債尋常行処有  酒債 尋常 行く処に有り

人生七十古来稀  人生 七十 古来稀なり

「飲み屋の付けは何時も、私の行く先々にあるが、昔から七十歳まで長生きした人などめったにいないから、借金など気にならない。」

                             杜甫 「曲江 二首」その二より

 

どれをとっても、傘寿を過ぎた私にとって、「いまさら・・・」としか言えない格言ばかりですが、

昔は飲み屋の付けというものがあり、お世話になった人も幾人かは・・・。でも、最近は行きつけであっても付けは効かないのではないでしょうか。中国編はこれからも続きます。お楽しみに。

                                    文責 2班 瀧田 


心に響く素晴らしい言葉(第6回)平沢 興編 

今回は第一回のとき京都大学十六代総長であった平沢 興の「人は単に年を取るだけではいけない。どこまでも成長しなければならぬ」という言葉を紹介しました。脳神経解剖学の世界的権威である彼は、人間一人ひとりに秘められた大いなる力と、その可能性を生涯に割って探求し続けた哲人の言葉は私どもに勇気と希望を与えてくれます。

 

「新年」

生きるとは 燃ゆることなり いざやいざ 進まん この道 我が燃ゆる道 

 

「この身このまま」

けさもまた さめて目も見え 手も動く ああ極楽よ このみこのまま 

 

「永遠の一日」

今日一日は永久に戻らぬ一日である。素晴らしい未来のために悔いを残さぬよう、今日も一日しっかりやりたいものである。

 

「最高の生き方」

今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です。

 

「不幸になる考え方」

ふつうは不幸が人間を苦しめるというが、よく考えてみると、人間を苦しめるのは不幸そのものではなく、不幸だと思うその考え方自体である。 

 

「存在感のある人」

君がおらぬと、周囲が困るような人になりなさい。

 

「夢と希望のある人生」

夢を持て。希望を持て。夢を持たぬ人生は、動物的には生きていても、人間的には死んでいる人生。 

 

「人間の味つけ」

年をとるほどに、私はいよいよ自らの人間の乏しさを感じるが、

しかし、命ある限りは、やはり祈りを込めて

なんとか自らの人間の味つけに燃え続けたいと思うのである。

それは人間が人間を生きるということの中で、

もっとも大切で、最も意義深いことではなかろうか。

与えられた尊い命を生き切って、

 

感謝の中で限りなく伸びたいものである。 文責 二班 瀧田

 


心に響く素晴らしい言葉(第5回)森 信三編 

第三回で森 信三の言葉を一つ紹介しましたが、今回もう一度深く取り上げてみます。彼は「国民教育の師父」と謳われ、現在もなお多くの人々に感化を与え続けております。「言葉は、その人の体験が根っこになって生まれてくるもの」という自信の述懐のとおり、自らの体験を通して掴んだ言葉には千金の重みがあります。

「個性の発揮」

人は職業以外の道によって、その個性を発揮するということは、ほとんど不可能に近い。

「真剣」

人間が本当に真剣になると、パッと夜中に目が明いたときとか、あるいは朝、目の覚めた瞬間に、大事な問題がパッと分かるものなんです。

「雑事雑用」

日常の雑事雑用を如何に巧みに要領よくさばいていくか・・・そうしたところにも、人間の生き方の隠れた呼吸があるということです。

「休息」

球速は睡眠以外には不要・・・という人間になること。すべてはそこから始まるのです。

「打ち込む」

人間は片手間仕事をしてはならぬ。やるからには生命を打ち込んでやらねばならぬ。

「一天地を拓く」

人は自己に与えられた境において、常に一天地を拓かねばならぬ。

「弱き善人」

弱さと悪と愚かさとは互いに関連している。けだし弱さとは一種の悪であって、弱き善人では駄目である。

「黄金のカギ」

わたくしは、皆さん方に一つの「黄金のカギ」をさし上げたいと思います。それは何かというと、我々人間にとって真に生きがいがある人生の生き方は、事故に与えられたマイナス面を、プラスに逆転し、「反転させて生きる」という努力です。 文責 二班 瀧田

              


心に響く素晴らしい言葉(第4回)安岡 正篤編(2) 

「道の人」

真の道の人とは、

根源的なものと枝葉的なものとを   

統一的に持っている人のことである。

 

命は吾より()

人間が浅はかで無力であると、いわゆる「宿命」になる。

人間が本当に磨かれてくると「運命」になる。

即ち、自分で自分の「命」を創造することができるようになる。

それを「命は吾より作す」という。

 

「人は環境を作る」

環境が人を作るということに捉われてしまえば、

人間は単なる物、単なる機械になってしまう。

人は環境を作るからして、

そこの人間の人間たる所以がある、自由がある。

即ち主体性、創造性がある。

だから人物が医大であればあるほど、立派な環境を作る。

人間が出来ないと環境に支配される。

 

安岡正篤 

昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた安岡正篤(1898年~1983年)。

安岡正篤師は、その東洋学に裏打ちされた該博な知識と人物としての魅力によって、日本のトップ・リーダーたちに、わが国の進むべき道を、常に指し示してこられました。

「平成」の元号の考案者

安岡正篤師は昭和20815日、昭和天皇によるいわゆる「玉音放送」で発せられた「終戦の詔勅」の草案作成にもかかわり、また「平成」の元号の考案者でもありました。ま さに日本の歴史をつくられた大碩学でありました。
しかし安岡正篤師の本当のすごさは、その人格が慕われ、没後23年たった今日にしてなお、安岡師の人徳、人柄を慕い、私淑する人が多いということです。
今日的な言葉でいえば、その「人間力」が、死してなお、多くの人たちに深い感化の力を持ち、影響を及ぼしているということです。 
文責 二班 瀧田

 


心に響く素晴らしい言葉(第4回)安岡 正篤編(1) 

 前回に引き続き、「人生の生き方」についてもう一度別の角度から考えてみましょう。今回は東洋思想家としてその時代の政治家が師と崇めた安岡正篤の生き方を紐解いてみましょう。彼はいかに人物を練り、いかに自らを修めるか・・・を見事な表現で私どもを導いてくれております。それでは彼の珠玉の一言一言を味わってみましょう。

「年頭自警」

年頭はまず自ら意気を新たにすべし

年頭古き悔恨を棄つべし

年頭決然滞事を一掃すべし

年頭新たに一善事を発願すべし

年頭新たに一佳書を読み始むべし

 

「高邁な人」

粗忽・がさつは最も人格の低劣を表す。

高邁な人格はいかに剛健・活発にみえても、

その人のどこかに必ずしっとりした落ち着きや静けさを湛えて居るものだ。

 

「恋愛」

いかなる異性に恋するかは自己人格と密接に関係する。

すなはち自己の人物相応に恋する。

故に人は恋愛によって自己を露呈するのである。

 

「人生は心がけと努力」

人間はできるだけ早くから、

良き師、良き友を持ち、良き書を読み、

ひそかに自らを省み、自らを修めることである。

人生は心がけと努力次第である。

 

「しびれる」

何にしびれるかによって、その人は決まる。

中江藤樹は「論語」と王陽明にしびれていた。

人間は本物にしびれなければならない。

 

「考成」

人間は考えてしなければ成功しない。

考えて初めて成すことができる。

考成という語のある所以である。

 

「使命」

人間はいかなる誘惑を受けても、

最後に一つなさざるところがなければならぬ。 文責 二班 瀧田

 


心に響く素晴らしい言葉(第3回)

 今回は「生きる」あるいは「生き方」についての多くの人の考え方について学んでみましょう。二度とない人生を、チコちゃんが指摘しているように「ボーッと生きてんじゃないよ」と言われないようにするにはどうすればいいのか。「今さら」と考えるか「されど今さら」と考えるか。それはあなた次第です。それともう一つ。自分のことだけを考えて生きてゆくか。それともほかの人への思いやりを大切位に生きてゆくかも・・・。それが利己と利他であります。

 

坂村 真民(仏教詩人)

皆さんは本当に二度とない人生を生きていますか。実行せずして、実践せずして、二度とない人生はないんです。

 

森 信三(哲学者)

「次処位の自己限定」(今いる場で全力投球する者には天は運という橋をかけてくれる)

人は誰でも一つの時代に一つの処で、一つの位(立場・役割)を得て、生きている。

 

足元のごみ一つ拾えないで、何が実践か。

 

人生でどのような出来事に遭遇しようとも、天の命として謹んで受けなさい。

 

佐藤 一斉(江戸時代の儒学者)

壮にして学べば、即ち老いて衰えず。

老いて学べば即ち死して朽ちず。

 

利己と利他(利己とは自分の利益を優先することであり、利他とは他人への思いやりを優先する)

 

稲盛和夫(京セラ名誉会長)

人生で一番大切なものというのは、やはり利他の心、皆を幸せにしてあげたいということを強く自分に意識して、それを心の中に描いて生きていくことです。

 

「人のため世のために尽くすことが、人間としての最高の行為である」というのが私の人生観であります。

「他に善かれかし」と願う写真の無い美しい思いにこそ、周囲はもとより神様も味方し、成功へと導かれるのです。 

                                   

柳澤 嘉一郎(筑波大学名誉教授)

利他的な遺伝子に比べ、利己的な遺伝子の影響力のほうが強いことは、進化論からも明らかですが、その中にあって人がよりよく生きるためには、利己性と利他性の適当なバランスをとることが大切だと私は思います。 

 

経営者の優先順位 従業員・家族 仕入れ先 顧客 地域社会 株主 このような会社は繁栄する。

                                    文責 2班 瀧田

 


心に響く素晴らしい言葉(第2回)

 

 

 今回は「自己を丹精する」という言葉についてお話してみたいと思います。「自己丹精」という言葉の意味は「自分という人間を自分自身がまごころを込めて仕上げてゆく」ということになります。これから三人の自己研鑽についての一節をご紹介しましょう。

 

 

ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman, 18195月31 18923月26)アメリカ合衆国詩人随筆家ジャーナリストヒューマニスト超越主義から写実主義への過渡期を代表する人物の一人で、作品には両方の様相が取り込まれている。アメリカ文学において最も影響力の大きい作家の一人でもあり、しばしば「自由詩の父」と呼ばれる。 

 

 

女あり

 

二人ゆく

 

若きはうるわし

 

老いたるはなおうるわし 

 

 

若い女性は美しいが、老いたる女性はさらに美しい。若い女性が美しいのは天然自然の美。その「うるわし」を漢字に当てるなら「麗」が相応しい。これに対して「老いたるはなおうるわし」の「うるわし」は「美」の漢字が当たる。 

 

 

世阿弥「世阿弥(ぜあみ)」は室町時代の能役者で、能作者でもあります。「世阿弥」の名前は浄土宗からきている法名で、当時の芸能人は芸名として法名を使う習慣がありました。世阿弥は曹洞宗の信徒でした。世阿弥の著した芸能論である『風姿花伝』は、能の芸術性を哲学的に語った画期的な書とされ、現在まで読み継がれ、研究されています。「初心忘るべからず」で有名ですね。

 

「時分の花をまことの花と知るか。真実の花になお遠ざかる心なり」

 

 時分の花とは若い時の花、まことの花とは修練、修養によって得られた花のことである。若い時には若狭ならではの花がある。だが、それを自分の実力と思ってしまうと、永遠に真実の花はつかめない、というのである。

 

「住するところなきをまず花と知るべし」

 

「住するところなき」とは、「そこに留まり続けることなく」という意味です。停滞することなく、変化することこそが芸術の中心である、と世阿弥は言っているのです。 

 

 

松原泰道(まつばら たいどう、190711月23 - 20097月29)は、日本臨済宗僧侶東京都港区龍源寺住職東京府生まれ。早稲田大学文学部卒。岐阜県瑞龍寺で修行したのち、臨済宗妙心寺派教学部長を務める。

 

「生涯現役、臨終定年」

「空しく老いないためには自分自身への丹精が欠かせません」と言われ。「一生、自己丹精」を目標として毎日を過ごされた。自分自身への丹精は死ぬまで続けなければならないと。文責 2班 瀧田

 


心に響く素晴らしい言葉(第1回)

 昨年度は「老いを楽しむ言葉」をお配りさせていただきましたが、今年度は表題のとおり私が巡り合った人生の中で是非知っていただきたい素晴らしい言葉をご提供できればと考えました。私どもにはもう既に不要な言葉も多々ありますが、孫子にでも伝えていただければよろしいかと考えております。どうか一年間おつきあいいただければ幸甚です。初めに「管子」のなかから第一回にふさわしいものを選んでみました。

「管子」中国,春秋時代の斉の宰相管仲 (かんちゅう) の著と伝えられる書。 七十六編。先秦から秦,漢時代にかけての政治,経済,文化などが儒家道家法家、陰陽家など多くの思想的立場で記述されており,実は,漢代までの間に多くの人の手によって記述編纂された書。

一年の計は穀を樹うるに如く()()十年の計は木を樹うる如く()()く、終身の計は人を樹うるに如く()()し。

 この言葉の意味は、「一を植えて一の収穫があるのは穀物であり、一を植えて十の収穫があるのは木であり、一を植えて百の収穫があるのは人である」と教えています。よく会社の入社式などで社長が新入社員を前に話されることを耳にします。

小林正観(こばやし せいかん一九四八年十一月九日-二〇一一年十月十二日)は、東京都深川出身の心学・潜在能力研究家著述家講演家。人間の潜在能力やESP現象、超常現象に学生時代から興味を持ち、心学などの研究を行っていた人物であり、多数の著書を発表し、全国各地で年間約300回にものぼる講演を行っていた。また、歌手や作詞家、デザイナー(SKPブランドオーナー)としての一面も持っていた。著書多数。

現在ある言葉の中で、最高の影響力を持った言葉は「ありがとう」の五文字でしょう。

「周りを豊かにしてあげようと思う心こそが、自分自身を豊かにするのです」

「淡々と過ぎてゆく普通の毎日が幸せの本質です」

「為しあわせ」という言葉が、「幸せ」という語源になりました。

つまり幸せとは、お互いに「してあげあう」ことをいうのです。

みなさん、今日から「ありがとう」という言葉を大切に。毎日百回は(?)言いましょう!

平澤 興(ひらさわ こう、一九〇〇(明治三十三年) 一九八七(平成元年)十七)は、日本の医学者新潟県出身。専門は脳神経解剖学京都大学教授、京都大学第十六代総長などを務めた。

「人は単に年を取るだけではいけない。どこまでも成長しなければならぬ」 

人生百歳時代を迎え、我々も残された人生を「もう」ではなく「まだ」と考えてゆかねばならぬということを自覚することが必要になってきた。生涯学習とか生涯発達理論とか巷では喧伝されるようになってきている。門戸は広い。大いに冒険しようではありませんか。リカレント教育という生涯学習の場が文教。聖学院・独協・埼大などで開校してます。文責 二班 瀧田


何故日本仏教が葬儀のためだけのものになってしまったか◆ 2018.8.15投稿

これまで仏教の渡来から現代における仏教を考えるに、先ず、日本人の仏教と実生活との関わり方を考えてみたい。世界には主な宗教としてキリスト教19億)、イスラム教11億)、仏教3億)などそれぞれ全世界に存在しているが、私が考えるに、仏教と他の宗教との根本的な違いは(それぞれの国家間の違いはあるが)普及活動に対する実践の違いと、宗教間の信者の熱意とでも表現できるかと考えられるが、各宗教間に温度差が極端にあると考えられる。例えばカトリックの信者は日曜日には必ず家族で教会へ出かけ祈りをささげる。それは一種の義務感とでも言っても過言ではない。しかも彼らには聖地と言う信仰の象徴が世界中に点在しているし、宗教が家族の生き方まで浸透している。又、回教では毎日メッカと言う聖地に向かい、数回時間に必ず礼拝する事が習慣になっている。

これらの宗教には、カトリックにはイエス・キリストというがあり、回教にはアラーというが存在するが、仏教にはそのような一神教ではない別の世界観がある。仏教では釈尊を神とはいわないのであって、様々な仏像を神として崇める習慣があることが、そもそも他宗教との大きな違いがある。

 それと対照的に仏教徒(本当に仏教徒といえるかどうかが疑問であるが)の日常はどんなものであろうか。「私は仏教徒です」と誰しもが言うかもしれない。しかし、それは先祖が家の中に死者を祭る「仏壇」が生まれた時からあるので「貴方の宗教は?」と聞かれると「仏教です」と皆が言ってしまうのではないか。この意味で、日本の国民の大半が「仏教徒」と言われる所以である。

 そこでである。元来「寺」の持つ方向は二つに分かれると考えられる。一つは学問の場としての本来の「寺院」のあり方と、江戸時代に寺社奉行が管理した各村々に配置した「寺」と檀家の問題である。

江戸時代における仏教統制により、仏教を一つの協議思想として宗学が始まり、片方で現世利益の重視という二つの方向性のため、仏教が考える宗教儀礼としての檀家制度が今日に至るようになったと考えられる。

学問の場としての「寺院」は東大寺・法隆寺・薬師寺など奈良の寺院が考えられ、それ等の寺の目的は飽くまでも学識のある僧侶を育て、仏教(宗派)を世間に広めるべく普及活動を行う目的で活動をしているところであり、当然それ等の寺院には檀家も無ければ、死者を弔う墓はない。
 
それに加え、鎌倉奈良時代に排出された大勢の名僧の出現が江戸時代以降なかったことも文民統制と共に私の考える「何故日本仏教が葬儀のためだけのものになってしまったか」という問題点に至った次第である。

 薬師寺の高田後胤のように仏教の普及に全力投入された仏僧も居たが、私は高田後胤の主たる目的は「朽ち果て落ちぶれた哀れな寺の再起」であったと考える。そのため、彼が執った手法は般若心経の「写経」を一般の人たちにお願いをすることであった。全国津々浦々に出かけ「お写経」を千円でお願いして遂にあの荒れ果てた薬師寺を見事再興したのであった。高田後胤はどちらかというと、仏教を法然や日蓮のように身を呈して自分の信じる宗派の布教の命を掛けたのとは違い、言葉は悪いが寺社の復興のための金集めであったと言っては彼に失礼か。

 高田後胤の愛弟子に現在薬師寺の執事長に大谷徹奘という50代の若い僧がいるが、彼は本気で年間数百回の説法を全国で行っている。彼は何時も「仏教が普及しないのは仏教の解釈がとても分かり難いことが原因である。私は仏教の教えを皆が判り易く理解できるよう普及に全力で関わっている」と言っている。私は時代が時代であったなら、大谷師こそ世が世であればひょっとしたら・・・と考えている。

本題に戻ろう。話が逸れてしまったが、奈良以前の時代背景と今日の世相との間に大きな違いがあるので一概には論じ得ないが、総じて今の日本全国にある各町村の「寺」は仏教統制における仏教が考える宗教儀礼としての檀家制度をして今日に至るようになったと考えられる。

そしてそこには安定した生活基盤を与えられ、極端なことを言えば、普及活動をしなくても安楽に食べて行けるようになったことではないか。朝起きて本堂に行き御勤めをすれば一日が終わる。何も檀家を集めて説法をしたり、托鉢に出かける必要など微塵にも無い。檀家から死者が出るとお布施と戒名料で十二分暮らして行けるのだ。(全ての僧侶がそうではないが)

 寺の僧侶の全員を非難しているのではない。批判しているのでもない。自分が感じているなかで、総じて言えるのはこうした恵まれた環境の下での寺のあり方が仏教の普及活動を蔑にしてしまったのではなかろうか。

 しかし、今日様々な問題も持ち上がってきていることも否めない。少子化・寺離れ・樹木葬・散骨などなど。寺の持つ悩みも増えつつある。分家のなかには家の中に仏壇が無い家が多く見受けられる。新築しても仏間を作ろうと考えている人は少ない。その上、戸主であっても墓守を放棄して、祖先を敬うと言う儒教の教えから逸脱してゆく傾向にあるのは、どんなものであろうか。ネット僧などこの典型ではなかろうか。この様な現状を一度、僧侶とひざを交えて話してみたい。

レポートに取り組んだ感想

私はたまたま友人に幾人かの僧侶がいる。その中には寺の娘の所へ養子に入り、釣り船を持ち毎月のように海釣りを楽しんでいる方もいる。一方、大谷徹奘という懸命に布教に取り組んでいると考えられる人物もいる。この二人の持つ仏教観は、私から見ると現在の仏教の世界の異なった生き方の、典型(両極端)を垣間見ることになるのではないかと思わざるを得ない。大谷徹奘が薬師寺に入山し、高田後胤の弟子にならなかったら、普通の寺社でのんびりと檀家と共に暮らしていたかもしれないが、たまたま徹奘の父と後胤が知人でなかったら・・・。

たまたま、其のようなことを見聞きしたり、偶然にも「日本の思想・仏教」を受講する機会に恵まれ、これまでに受講した仏教の歴史から、仏教のあるべき姿は「どのようなものであるか」について考えてみようと思いが起きた。

私は、決して仏教を批判するとか否定するとかを記すつもりはない。これまで齢80年を生きてきた経験と、今回受講した講座の内容から、どちらかと言うと好意的でない見方に終始したかもしれないが、このままに推移すると仏教と言う大切な人生に対する指針の拠り所が薄れてしまうとの危惧感から取りあげてしまった感がある。

文献を調べ深く掘り下げて論文を書くことよりも、ありのままの持っている経験と心の内を記させていただいた。                                  文責 瀧田


女あり◆ 瀧田

女あり

二人ゆく

若きはうるわし

老いたるはなおうるわし

アメリカの詩人 ホイットマン

 

若い女性は美しいが、老いたる女性はさらに美しい。

若い女性が美しいのは天然自然の美。

その「うるわし」を漢字に当てるなら「麗」が相応しい。

これに対して「老いたるはなおうるわし」の「うるわし」は「美」の漢字が当たる。

「麗」は生まれついてのっすっきりした美しさ。

これに対して「美」は丹誠によって生まれてくる美しさだ。

                  禅の高僧   松原泰道師

 

 ※ 丹誠とは「自己丹誠」という自分という人間を真心をこめて仕上げていく行為。


一年の計は殻を樹うるに如くは莫く

後世に語り継ぎたい貴重な教えを、どう伝え、継承していくか・・・

 

一年の計は穀を樹うるに()くは()

十年の計は木を樹うるに如くは莫く

終身の計は人を樹うるに如くは莫し

 

一年で成果を挙げようとするなら、穀物を植えることだ。
 十年先を考えるなら、木を植えることだ。
 終身の計を立てるなら、人材を育てることに尽きる。

 

これは「管子」の中のひとつである。管仲の著書であるとされているものの、実際は戦国期の稷下の学士たちの手によって著された部分が多いと考えられている。また、内容的に見ると、各篇によって異なった学派、思想的立場に立つ人たちの著作がまとめられていると見られ、その面から言えば、「雑家」の著作と呼ぶべきものと言える。「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」という言葉はよく知られている。

 我々は既に職を去り、ここの掲げた一説は、過故の幻として脳裏に走馬灯のごとく通り過ぎて行くが、人生の一人の先輩として後世に語り続けなければならない大切な思想であることは間違いない。我々は、つい眼先の事に気持ちの大半を費やし、一歩立ち止まって大所高所から物事を考える気持ちの余裕というか、なすべきであった事柄を今一度思い起こして機会があれば継承することも悪くはない。最近、子供(小学生)に「論語」を紐解くことが流行っているようだが、とても大切なことだ。今日のように横文字が蔓延している社会において、過去に思いを馳せて考えてみることも大切ではなかろうか。

「管子」の他、中国には「孫子」、「韓非子」「論語」などに二千年もまえに孔子などによって書かれた書物を手にすることができるのは、ある意味で幸せと思いたい、

 

         瀧田独白